歴史の学習カリキュラムと学習指針

律令国家とは何かを日本史の流れで確認する
律令国家とは、律と令にもとづき、中央政府が土地・人民・税を管理しようとした国家のしくみです。このページでは、成立した理由、飛鳥時代から奈良時代までの流れ、公地公民や班田収授法、租・庸・調、律令国家が変化した理由を中学社会向けに整理します。
最初に結論
律令国家は、天皇を中心とする政府が、法律と制度を使って全国を治めようとした国家です。
戸籍をもとに人々へ口分田を配り、租・庸・調などの税を負担させました。飛鳥時代に国づくりが進み、大宝律令などを経て、奈良時代に制度が本格的に運用されました。
律令国家とは、律と令にもとづいて、中央政府が全国の土地・人民・税を管理しようとした国家です。
「律」は主に犯罪と刑罰について定めた規則、「令」は政治のしくみ、役所、税、土地制度などについて定めた規則を指します。これらの規則によって政治を行うしくみを、律令制度といいます。
土地
公地公民の考え方にもとづき、土地を国のものとして管理しようとしました。
人民
戸籍を作り、誰がどこに住んでいるのかを政府が把握しました。
税
租・庸・調などを人々に負担させ、政治や都の運営に必要なものを集めました。
政治
都の政府と地方の役所を結び、全国を同じ制度で治めようとしました。
覚えるときのポイント:律令国家は制度名の集まりではありません。「全国の人と土地を把握し、税を集めるためのしくみ」と考えると、公地公民、班田収授法、戸籍、租・庸・調の関係を理解しやすくなります。
古墳時代の大和政権では、大王を中心に有力な豪族がまとまっていました。しかし、豪族ごとの力に頼る政治では、全国を一つの方針で治めることが難しいという問題がありました。
そこで飛鳥時代には、豪族中心の政治から、天皇と中央政府を中心とする政治へ移す改革が進められました。中国の隋や唐の制度も参考にしながら、役人、法律、土地、税、地方支配のしくみが整えられていきます。
大王と有力豪族による政治
中央集権を目指す改革
政治制度を法令として整備
律令制度を全国で運用
律令国家の成立までに押さえたい出来事
| 出来事・制度 | 内容 | 律令国家とのつながり |
|---|---|---|
| 冠位十二階 | 家柄だけでなく、能力や功績を重視して役人を登用しようとした制度 | 天皇を中心とする役人制度につながる |
| 十七条の憲法 | 役人として心がけるべき政治の方針を示したもの | 豪族に対して天皇中心の政治を求めた |
| 大化の改新 | 中大兄皇子・中臣鎌足らが進めた政治改革 | 豪族中心の政治から中央集権へ向かう |
| 大宝律令 | 律と令をまとめ、政治のしくみを整えた法令 | 律令国家の土台となった |
律令国家がいつ成立したかは、学習上の区切り方によって表現が異なる場合があります。中学社会では、飛鳥時代の改革を経て、701年の大宝律令によって律令国家のしくみが整えられ、奈良時代に本格的に運用されたという流れで押さえると理解しやすくなります。
律令国家を理解するには、土地、人民、税を別々に暗記するのではなく、一つの流れとして捉えることが大切です。
戸籍を作る
↓
人々を把握する
↓
口分田を配る
↓
税や労役を負担させる
公地公民と班田収授法の関係
公地公民は、土地と人民を国のものとして管理しようとする考え方です。その考え方にもとづき、戸籍に登録された人々へ口分田を配る制度が班田収授法です。
口分田は永久に個人のものになる土地ではなく、本人が亡くなると国へ返すことが原則でした。政府は土地を配り、その土地や人々をもとに税を集めようとしました。
租・庸・調の違い
| 税 | 主な内容 | 押さえたい点 |
|---|---|---|
| 租 | 口分田の収穫から、主に米を納める | 土地をもとに負担する税 |
| 庸 | 都での労役、または布などを納める | 都まで運ぶ負担もあった |
| 調 | 地方の特産物を納める | 地域ごとの産物が使われた |
税には、米や布、特産物を納める負担だけでなく、都へ運ぶ負担や兵役などもありました。人々にとって負担が重くなると、口分田を捨てて逃げる者が出るなど、制度を維持することが難しくなっていきます。
大宝律令と養老律令の違い
大宝律令は701年に制定され、律令国家の政治制度を整える土台になりました。その後に作られた養老律令は、大宝律令を修正した律令です。
中学社会では、まず大宝律令を「律令国家のしくみが整えられた重要な法令」として押さえます。養老律令について問われた場合は、大宝律令の後に作られた法令であることを確認しましょう。
律令国家のしくみは、決められた制度どおりに口分田を配り、税を集め続けることを前提としていました。しかし、人口の増加や人々の逃亡などにより、配る土地や税を負担する人を安定して確保することが難しくなりました。
政府は新しい田を増やすため、開墾した土地の私有を認める方向へ制度を変えていきます。
| 制度 | 内容 | 変化 |
|---|---|---|
| 三世一身法 | 新しく開墾した土地について、一定期間の私有を認めた | 開墾を進めようとした |
| 墾田永年私財法 | 新しく開墾した土地の永久私有を認めた | 貴族や寺社の私有地が広がった |
| 荘園の広がり | 貴族や寺社などが所有する土地が増えた | 公地公民の原則が崩れていった |
この変化によって、国がすべての土地と人民を直接管理するという律令国家の原則は次第に崩れていきました。平安時代には荘園が広がり、地方では武士が成長します。政治の中心も、やがて貴族から武士へ移っていきます。
律令国家の流れ:豪族中心の政治から中央集権を目指す改革が進み、大宝律令などによって制度が整えられました。しかし、土地不足や税負担などによって班田収授法の維持が難しくなり、私有地や荘園が広がっていきました。
制度名は覚えたのに、関係を説明できないときは
公地公民、班田収授法、租・庸・調を別々に暗記しても、資料問題や記述問題では得点につながらないことがあります。当塾では、制度が作られた目的と、その後どのように変化したかを一つの流れとして確認します。
ここまでで、律令国家の基本的な説明は完了です。ここからは、律令国家が成立する前の社会と、律令国家の後に政治の中心がどのように変化したのかを、旧石器時代から昭和時代まで確認します。
律令国家だけを調べている場合は、よくある質問または総合チェックへ進めます。日本史全体を復習する場合は、以下を順に確認してください。
旧石器→縄文→弥生
/
古代:
古墳→飛鳥→奈良→平安
/
中世:
鎌倉→室町→安土桃山
/
近世:
江戸
/
近代以降:
明治→大正→昭和(戦前)→昭和(戦後)
家庭で進める歴史の復習方法
歴史は語句を一度に増やすよりも、出来事の理由や前後関係を説明できるようにすることが大切です。
理解
いつ、誰が、何を、なぜ行ったのかを一文にします。
暗記
人物、制度、出来事を小さなまとまりで覚えます。
確認
重要語を見ずに言い、言えなかった箇所へ戻ります。
演習
史料、写真、年表、地図から根拠を拾う練習をします。
用語を覚えても流れを説明できない場合は、「その制度が必要になった理由」と「その後に何が変わったか」をノートへ一文ずつ書くと整理しやすくなります。
01. 律令国家が成立する前後の日本
Ⅰ.古墳時代以前(旧石器・縄文・弥生)
この単元では、生活と社会がどのように変化したかを確認します。特に稲作の開始は、食料の蓄積、貧富や身分の差、争い、「くに」の成立につながる転換点です。
旧石器時代(道具と環境)
- 主に使った石器は打製石器。石を打ち欠いて作る。
- 狩り・採集を中心に生活した。
- 氷期の影響で海面が低く、大陸とつながっていた時期がある。
- 代表的な遺跡として、岩宿遺跡などを確認する。
縄文時代(定住とくらし)
- 土器は縄文土器。煮炊きなどに使われた。
- 住居は竪穴住居、食べ残しなどが積もった跡は貝塚。
- 信仰や道具として、土偶、骨角器などが見られる。
- 狩り・採集・漁を中心としながら、定住生活が見られた。
弥生時代(稲作と社会の変化)
- 稲作が広まり、収穫した米を保管する高床倉庫が使われた。
- むらを守るため、周囲に堀を設けた環濠集落が作られた。
- 青銅器の代表として、祭りに使われた銅鐸がある。
- 鉄器は農具や武器として使われ、生産力の向上や争いの増加につながった。
- 定住、人口増加、貧富や身分の差、争い、指導者の出現を経て、「くに」が作られていった。
大陸との交流
- 「倭」について、漢書地理志、後漢書、魏志倭人伝などに記録がある。
- 卑弥呼が登場する史料は魏志倭人伝。
- 史料問題では、「倭」「邪馬台国」「卑弥呼」を手がかりにする。
この単元の確認
- 旧石器時代は打製石器が中心。
- 縄文時代は竪穴住居・貝塚。
- 弥生時代には高床倉庫や環濠集落が見られる。
- 卑弥呼が登場する史料は魏志倭人伝。
Ⅱ.古墳時代(大和政権の成立)
古墳時代では、各地の有力者がまとまり、国の中心となる政治勢力がどのように形成されたかを確認します。
古墳と支配の広がり
- 代表的な古墳の形は前方後円墳。
- 古墳には埴輪が並べられ、当時のくらし、武器、儀式を知る手がかりになる。
- 中心となった政権は大和政権。
- 大王を中心に有力な豪族がまとまり、各地へ支配を広げた。
史料から分かる支配の広がり
- 稲荷山古墳の銘文に見られるワカタケル大王は、大和政権の支配の広がりを示す手がかりになる。
- 倭の五王は、中国の南朝に使者を送った王たち。
朝鮮半島との関わり
- 4世紀ごろの朝鮮半島には、高句麗、百済、新羅、加耶があった。
- 技術、文化、軍事の面で、朝鮮半島との交流が重要だった。
- 渡来人によって、漢字、仏教、土木技術、工芸技術などが伝えられた。
律令国家とのつながり
古墳時代には、大王と有力豪族による政治が行われました。飛鳥時代には、この豪族中心の政治を改め、天皇と中央政府を中心とする律令国家づくりが進められます。
Ⅲ.飛鳥時代(律令国家づくりの本格化)
飛鳥時代は、豪族中心の政治から、天皇を中心とする中央集権的な政治へ移ろうとした時代です。
聖徳太子の政治
- 人材登用の制度は冠位十二階。
- 役人の政治方針を示したものは十七条の憲法。
- 遣隋使の代表人物は小野妹子。
- 家柄だけでなく、能力や功績を重んじる政治が目指された。
大化の改新から律令へ
- 大化の改新は、中大兄皇子・中臣鎌足らが進めた。
- 目標は、天皇を中心とする中央集権的な政治を作ること。
- 白村江の戦いの後、国防や国内制度の整備が進められた。
- 壬申の乱を経て、天武天皇のもとで国づくりが進んだ。
- 大宝律令によって、律令国家の政治制度が整えられた。
この単元の確認
- 聖徳太子の政治は冠位十二階・十七条の憲法。
- 飛鳥時代の国づくりの軸は中央集権。
- 大宝律令は、律令国家の土台となった。
Ⅳ.奈良時代(律令制度の運用)
奈良時代では、都、地方支配、土地、税を「何のための制度か」と結びつけて確認します。
都と政治
- 都は平城京。唐の都を参考にして作られた。
- 中央では役所や官僚制度を整え、全国を管理しようとした。
- 地方には国司や郡司などを置き、中央政府の支配を広げた。
土地制度
- 公地公民は、土地と人民を国が管理する考え方。
- 班田収授法によって口分田を配り、税を集める基礎とした。
- 三世一身法、墾田永年私財法を経て、私有地や荘園が広がった。
税
- 租は主に米を納める税。
- 庸は都での労役、または布などを納める負担。
- 調は地方の特産物を納める税。
- 税や運搬の負担は人々にとって重く、律令制度が変化する一因になった。
仏教と天平文化
- 聖武天皇は、仏教の力で国を守ろうとして大仏建立を進めた。
- 大仏建立には僧の行基も協力した。
- 天平文化は、唐の影響が強い仏教中心の文化。
- 鑑真は日本へ渡り、仏教の戒律を伝えた。
この単元の確認
- 土地制度は公地公民・班田収授法。
- 税は租・庸・調。
- 荘園拡大につながった制度は墾田永年私財法。
Ⅴ.平安時代(律令国家の変化と武士の成長)
平安時代では、律令制度の原則が崩れ、貴族政治が行われる一方で、地方に武士が成長した流れを確認します。
貴族の政治
- 摂関政治は、藤原氏が天皇の外戚として実権を握る政治。
- 代表人物は藤原道長。
- 上皇が政治を行うしくみを院政といい、白河上皇が代表的な人物。
地方の不安と武士の成長
- 関東では平将門の乱、瀬戸内海周辺では藤原純友の乱が起きた。
- 有力な武士団として源氏と平氏が成長した。
- 地方の土地や治安を守る中で、武士の力が強くなった。
平氏の政権と貿易
- 平清盛は、武士として政治の中心へ進出した。
- 日宋貿易を進め、経済面でも力を持った。
国風文化
- 遣唐使の停止後、日本の風土や生活に合った文化が発達した。
- 随筆は枕草子、物語は源氏物語。
- 和歌集は古今和歌集。
律令国家から武士の政治へ
荘園が広がり、地方の支配や治安を武士が担うようになると、政治の中心はしだいに貴族から武士へ移っていきました。
02. 律令国家の後に広がった武士の政治
Ⅰ.鎌倉時代(武士の政治の始まり)
鎌倉時代は、土地を仲立ちにした御恩と奉公の関係を中心に確認します。
幕府成立と武士の支配
- 中心人物は源頼朝。
- 守護・地頭を地方に置き、武士による支配を広げた。
- 御恩は土地などを与えること、奉公は軍役などで応えること。
執権政治と武家法
- 3代執権は北条泰時、8代執権は北条時宗。
- 最初の武家法は御成敗式目。
- 武士同士の争いを裁く基準として作られた。
元寇と幕府の衰え
- 元寇の相手は元。文永の役と弘安の役があった。
- 元寇後、御家人へ十分な土地を与えられず、不満が高まった。
この単元の確認
- 封建制度の中心は御恩と奉公。
- 最初の武家法は御成敗式目。
- 元寇後の御家人の不満は、幕府が弱まる原因の一つになった。
Ⅱ.室町時代(南北朝から戦国へ)
室町時代では、足利氏の政治、日明貿易、戦国時代へ向かう流れを確認します。
- 建武の新政の中心人物は後醍醐天皇。
- 室町幕府の初代将軍は足利尊氏。
- 3代将軍は足利義満、8代将軍は足利義政。
- 日明貿易は勘合貿易。正式な貿易船であることを示す勘合を使った。
- 応仁の乱をきっかけに、戦国時代へ向かう動きが強まった。
- 京都を中心に、北山文化と東山文化が発達した。
Ⅲ.安土・桃山時代(全国統一と土地支配)
織田信長と豊臣秀吉の政策を、全国統一や土地・身分の管理という目的と結びつけます。
- 織田信長は楽市楽座を進め、商業の活性化を図った。
- 豊臣秀吉は全国統一を進め、太閤検地と刀狩を行った。
- 太閤検地では土地の広さや収穫量を調べ、年貢を安定して集めようとした。
- 刀狩では農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分を分けた。
- 朝鮮出兵として、文禄・慶長の役が行われた。
Ⅳ.江戸時代(幕藩体制から幕末へ)
幕藩体制と統制
- 大名を統制する制度として参勤交代が行われた。
- 鎖国には、キリスト教や海外勢力の影響を抑える目的があった。
- 幕府は大名、朝廷、寺社、民衆などを制度によって管理した。
政治の変化と改革
- 徳川綱吉は生類憐れみの令を出した。
- 享保の改革は徳川吉宗、寛政の改革は松平定信、天保の改革は水野忠邦が進めた。
- 改革は、幕府財政や社会問題へ対応するために行われた。
開国と幕末
- 黒船を率いて来航した人物はペリー。
- 日米和親条約、日米修好通商条約などにより、幕府の立場が揺らいだ。
- 大政奉還を行った人物は徳川慶喜。
中世・近世の文化
- 北山文化を代表する建築は金閣。
- 東山文化を代表する建築は銀閣。
- 江戸時代には、元禄文化や化政文化も発達した。
この章の総合チェック
- 室町時代の日明貿易は勘合貿易。
- 豊臣秀吉の政策は太閤検地・刀狩。
- 江戸幕府の大名統制は参勤交代。
- 大政奉還を行った人物は徳川慶喜。
03. 武士の政治から近代国家へ
Ⅰ.明治時代(明治維新から立憲国家へ)
明治時代では、江戸幕府の政治から近代国家へ変わるために、政治、土地、税、軍隊、教育の制度がどのように変えられたかを確認します。
政治・社会の改革
- 新政府の方針は五箇条の御誓文で示された。
- 中央集権化は、版籍奉還から廃藩置県へ進んだ。
- 富国強兵を進めるため、地租改正や徴兵令が行われた。
- 学制によって、近代的な教育制度が進められた。
憲法と議会
- 自由民権運動では、国会開設や憲法制定を求める動きが強まった。
- 大日本帝国憲法が発布され、帝国議会が開かれた。
条約改正と対外関係
- 治外法権の撤廃に尽力した人物は陸奥宗光。
- 関税自主権の回復に尽力した人物は小村寿太郎。
- 日清戦争、日露戦争を通じて、日本の国際的な立場が変化した。
Ⅱ.大正時代(第一次世界大戦と大正デモクラシー)
大正時代では、民主主義を求める動きと、第一次世界大戦による経済や社会の変化を確認します。
- 大正デモクラシーの中で、普通選挙を求める動きが強まった。
- 政党政治が発達し、労働運動や女性運動などの社会運動も広がった。
- 第一次世界大戦によって日本の輸出が増え、経済が発展した一方、物価上昇などの問題も起きた。
Ⅲ.昭和時代①(戦争へ向かった日本)
昭和戦前は、世界恐慌の影響を受ける中で軍部の発言力が強まり、戦争へ進んだ流れを確認します。
- 世界恐慌の影響により、経済や人々の生活が不安定になった。
- 五・一五事件、二・二六事件などを通して、政党政治が弱まった。
- 満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと戦争が拡大した。
Ⅳ.昭和時代②(戦後の民主化と経済成長)
戦後は、日本国憲法、民主化、経済復興を中心に確認します。
- 日本国憲法は1946年に公布され、1947年に施行された。
- 三大原則は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義。
- 戦後改革によって、選挙制度、教育、農地などが変化した。
- 高度経済成長によって、産業や人々の生活が大きく変わった。
歴史の資料問題の読み方
歴史の資料問題では、最初から選択肢だけを見るのではなく、「何の資料か」「誰の立場から作られたか」「何を示しているか」を確認します。
| 資料の種類 | 最初に確認すること | 注目する手がかり |
|---|---|---|
| 史料文 | 誰の立場で書かれた文章か | 政府、民衆、外国、人物名、制度名 |
| 写真・絵 | 何を表している資料か | 道具、服装、建物、武器、作業の様子 |
| 年表 | 出来事の前後に何があるか | 原因、結果、同じ時期の国内外の動き |
| 地図 | どの地域や国を示しているか | 都、貿易相手、戦争の場所、領域の変化 |
律令国家の資料で注目する点
- 戸籍や計帳なら、人々の把握や税との関係を考える。
- 平城京の図なら、都を中心に政治を行ったことを確認する。
- 租・庸・調の資料なら、何をどこへ納めたのかを見る。
- 墾田永年私財法に関する資料なら、私有地や荘園の広がりと結びつける。
資料を見ても、どの語句と結びつけるか分からない場合
資料問題では、知識量だけでなく、資料内の言葉や図から根拠を探す練習が必要です。本科コースでは歴史全体を継続的に学び、単発講座では苦手な時代や問題形式を集中的に確認できます。
律令国家と日本史の総合チェック
- 律令国家とは、律と令にもとづいて全国を治めようとした国家。
- 律令国家の成立へ向けた政治の軸は中央集権。
- 律令国家の土台となった法令は大宝律令。
- 土地と人民を国が管理する考え方は公地公民。
- 口分田を配る制度は班田収授法。
- 奈良時代の主な税は租・庸・調。
- 私有地や荘園の拡大につながった制度は墾田永年私財法。
- 鎌倉時代の武家法は御成敗式目。
- 室町時代の日明貿易は勘合貿易。
- 豊臣秀吉の政策は太閤検地・刀狩。
- 江戸幕府の大名統制は参勤交代。
- 治外法権撤廃は陸奥宗光、関税自主権回復は小村寿太郎。
- 日本国憲法は1946年公布、1947年施行。三大原則は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義。
律令国家についてよくある質問
律令国家を簡単にいうと、どのような国ですか
律と令という法令にもとづき、天皇を中心とする政府が土地、人民、税、地方を管理しようとした国家です。
「律」と「令」にはどのような違いがありますか
律は主に犯罪と刑罰についての規則、令は政治制度、役所、税、土地などについての規則です。
律令国家はいつ成立しましたか
飛鳥時代の改革を経て、701年の大宝律令によって制度が整えられ、奈良時代に本格的に運用されたという流れで確認します。
公地公民と班田収授法はどうつながりますか
公地公民は土地と人民を国が管理する考え方です。その考え方にもとづき、戸籍に登録された人々へ口分田を配った制度が班田収授法です。
律令国家はなぜ弱まりましたか
人口増加による土地不足、人々の逃亡、重い税負担などによって、班田収授法や税のしくみを維持することが難しくなったためです。墾田永年私財法の後には私有地や荘園が広がり、公地公民の原則も崩れていきました。
まとめ|律令国家は土地・人民・税を管理するしくみ
律令国家とは、律と令にもとづき、天皇を中心とする政府が全国を管理しようとした国家です。戸籍を作って人々を把握し、班田収授法によって口分田を配り、租・庸・調などの税を負担させました。
飛鳥時代には、豪族中心の政治から中央集権を目指す改革が進み、大宝律令などによって政治制度が整えられました。しかし、土地不足や人々の負担によって制度の維持が難しくなり、私有地や荘園が広がります。その後、地方では武士が成長し、政治の中心は貴族から武士へ移っていきました。
歴史を学ぶときは、用語だけを覚えるのではなく、「なぜ作られたのか」「どのように運営したのか」「なぜ変化したのか」を順番に説明できるようにしましょう。



